大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

山形地方裁判所鶴岡支部 昭和30年(ワ)23号 判決

原告 今野金八

被告 砂田喜代太 外一名

主文

被告等は原告に対し別紙〈省略〉目録記載の田六筆に付鶴岡区裁判所昭和十年八月十二日受附第四〇六五号を以てなされた永小作権設定登記の抹消登記手続を履行せよ。

被告砂田喜代太は原告に対し同目録記載二乃至六の田五筆を明渡せ。

訴訟費用は被告等の負担とする。

本判決は原告が担保として金十七万円を供託するときは仮に執行することが出来る。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決並に仮執行の宣言を求めその請求原因として原告は昭和十年二月十三日その所有の別紙目録記載の田六筆に被告砂田喜代太先代砂田金太郎、被告須田金一先代須田金助の両名に対し期間満二十年の永小作権を設定し同日鶴岡区裁判所受附第六〇九号を以てその旨の登記を了り耕作せしめたがその後原告において右田に抵当権を設定する必要から被告等先代の了解を得て登記簿上一時右永小作権の登記を抹消して貰いそれも間もなく解決したので同年八月十二日鶴岡区裁判所受附第四〇六五号を以て再び永小作権の設定登記をした。従て登記簿上は同年八月十二日から満二十年の永小作権が設定されたこととなつたが原告及び被告等先代との間では先に永小作権を設定した同年二月十三日以降引続き耕作せしめており右登記の抹消は唯一時の便宜のためになされたに過ぎず同年八月十二日から満二十年であるとすれば満了が耕作年度の中間にもなるので固より同年二月十三日以降二十年の期間の満了により本件田地を返還する特約があつたのである。その後砂田金太郎は昭和二十二年四月四日隠居して被告砂田喜代太がその家督を相続し須田金助は昭和二十四年三月十六日死亡し被告須田金一においてその遺産を相続し夫々先代の権利義務一切を承継したので原告は右永小作期間満了の直前である昭和三十年二月五日被告等に対し夫々契約を更新しない旨の通知を発すると共に被告砂田喜代太に対し別紙目録二乃至六記載の田五筆の返還を求めたところ被告等は之に応じないので被告両名に対し前記永小作権設定登記の抹消登記手続の履行並に被告砂田喜代太に対し右田五筆の引渡を求めるため本訴請求に及んだと述べ、尚永小作期間を登記簿の記載通り昭和十年八月十二日以降満二十年と仮定しても昭和三十年八月十一日の経過と共に右永小作権は消滅している、原告は民法第二百七十三条により準用される同法第六百十九条所定の永小作人に対する異議として被告両名に対し昭和三十年二月十四日その旨の通知をした。又被告砂田喜代太の代理人訴外小林鉄太郎から同年七月十二日永小作期間の更新を請求して来たので原告は同月十四日之を拒絶する旨通知した、然して同年八月十一日を永小作期間の満了と仮定した場合の異議として右各通知がその効力がないとするならば本件訴状の送達を以て更めて異議を申述べると附陳し、被告等の答弁に対し本件永小作権の設定に当り被告等先代両名間にどのような経緯があつたか原告は知らない、原告は先代両名に対し永小作権を設定したのであり設定契約を以て永小作権を他人に譲渡又は転貸することを禁じていたから若し被告等主張の如く砂田金太郎単独で原告と契約を締結したものであるとするならば原告は砂田金太郎に対し契約違反による解除権を行使し得ると考える、我国において農地調整法、自作農創設特別措置法、農地法が順次制定せられ現在農地法が施行中であることこれらは民法に対し特別法の関係にあり特別法は一般法に優先して適用されるものであることは被告等の主張する通りであるが永小作権の条章に規定のないこと、又は規定はあつても不完全な場合は農地法の規定により処理すべきもので本件も亦同法に則つて解決すべきものであると主張する見解には賛成出来ない。永小作権を設定した農地が農地法に所謂小作地に該当することは勿論であるがその設定移転について県知事の許可を受けていないから返還請求権がないと言う被告の主張は原告は期間満了による永小作権の消滅を主張しているのであつて設定移転を云々しているのではないから当らない、農地法第十九条第二十条の規定は永小作権についても準用されるべきものとなす被告等の主張は誤つている。同条に永小作権について規定しておらないのは永小作権は小作権乍ら物権であつて賃借権と自らその性質を異にするものがあるからであつて同法第三条に永小作権の設定移転について県知事の許可を要する旨規定しており乍ら同法第十九条第二十条にその規定がないのは寧ろ同条を永小作権に準用しない趣旨であると解する、然してこの見解は県当局によつても支持されているのであつて原告自身当初は同法第二十条の規定が適用あるものと誤解して本件永小作権の解約申入について県知事に許可申請手続をしたところ本件は賃貸借田地でなく永小作権設定の田地であるから同法第二十条には関係がないと言う理由で却下されたのである、従つて被告砂田喜代太が昭和三十年二月三日原告に対し契約の更新を請求したことは事実であるがだからと言つて原告に本件田地の返還請求権がないと言う主張は不当である。法の趣旨は永小作権契約の更新は当事者双方の合意によるものとしているのであるから単に同被告から更新の請求があつたからと言つてそれ丈で契約は更新されるものではない。又原告は現在田地一町三反四畝二十歩を耕作しているが殆んど日雇を傭つて収穫も少く年々供出も平均を下廻るもので精農とは言い難くその上本件田地を回収しては更に困難を来たし収穫の減少を免れないのに反し被告砂田喜代太は益々多収穫の実を挙げる覚悟だから本件田地返還請求は許容すべきでないと言う同被告の主張は全く法を無視した議論と言はなければならない。原告の耕作反別は台帳面積一町三反三畝三歩余であるが作付面積は一町二反六畝三歩である。供出は年々超過供出をしている、原告の養子長三は元庄内購売農業協同組合連合会に勤務していたが自家の農耕に専念すべく右勤務から退職し早く田地の返還されることを期待しているので本件田地を回収しては更に耕作に困難を来たすとか収穫の減少を免れないとか言つたような事情は毛頭ない。この事は先に原告が県知事に解約申入の許可申請をした際農業委員会においても明に認められたところであるその他原告の主張に反する被告等の抗弁事実を否認すると述べた。〈立証省略〉

被告等訴訟代理人は原告の請求を棄却する訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め答弁として原告の主張事実中原告が昭和十年二月十三日その所有の別紙目録記載の田六筆に被告等先代砂田金太郎、須田金助の両名に対し期間満二十年の永小作権を設定し同日その登記をしたがその後右登記を抹消して更に同年八月十二日原告主張の永小作権設定登記をしたこと、被告両名が夫々原告主張の通り相続したこと及び被告砂田喜代太が別紙目録二乃至六記載の田五筆を現に耕作していることは認めるが永小作権の登記を何故抹消したかその事情は知らないその他の事実は否認する。原告と被告等先代との間に昭和十年二月十三日以降満二十年を以て本件田地を返還する旨の特約はなかつた、契約期間は同年八月十二日以降満二十年である。元々本件田地については砂田金太郎単独で永小作権の設定を受ける約束であつたが原告に支払うべき小作料全額の持合せがなかつたためその半額を須田金助より借受けた関係から右先代両名を永小作権者として設定登記を受けたのであるが砂田金太郎は一ケ一年で右借金を全部須田金助に返済したのでそれまで本件田地の半分を耕作して来た須田金助も右田地を砂田金太郎に返還し爾来金太郎に引続き被告砂田喜代太において本件田地を耕作し小作料も全部同被告が支払い今日に至つておるものでこの事情は原告も充分承知しているのである。抑々永小作権は民法の一条章として明治二十九年四月に制定されたものであるが小作農地を回る社会情勢並に経済情勢の変更はその後昭和十三年四月に至り農地調整法を成立せしめ更に昭和二十一年には自作農創設特別措置法により小作農地の解放が行はれ次いで昭和二十七年七月にはこれら農地関係の立法は農地法に集大成されて現在同法が施行されているのであるが同法第一条には耕作者の農地の取得を促進しその権利を保護しその他土地の農業上の利用関係を調整しもつて耕作者の地位の安定と農業生産力の増進を図ることが同法の目的であることを明定しているのであつてこの農地法は民法に対する特別法として六十年以前に制定された永小作権に関する規定に優先して適用せられるべきは勿論永小作権の条章に規定のないこと又は規定はあつても不完全な場合は総て農地法により処理すべきであつて本件も亦同法に則つて解決すべきものであると考える。農地法においては自作地以外の農地は皆小作地であつて永小作権に基く農地もその小作地に属することは同法第二条に明かである、然して同法第三条によれば永小作権の設定、移転には都道府県知事の許可を要することとなつているのであるが原告はその許可を得ていないのであるから返還請求の権利はない。蓋し永小作権は所有権を制限する一種の制限物権であり期間満了しても尚独立の権利として存在するのであるから之を所有権に吸収するためには必ず権利の移転が伴うからである。仮に之が理由がないとしても農地法第十九条には農地の賃貸借契約更新の規定があり同法第二十条には賃貸借契約の解除解約についての制限規定が設けられているが永小作権について何等規定されていないのは永小作権が実際においてその数が少く且つ強力な権利であるがため規定されなかつたに過ぎないのであつて元々両者はその性質が似ているのであるから前述の通り民法の永小作権に規定のない事項は総て農地法の右規定がその儘準用されるのであり従つて被告砂田喜代太は昭和三十年二月三日本件契約更新の請求をしているのであるから原告には本件田地返還の請求権がないと言はなければならない。何故なれば原告は現在田地一町三反四畝二十歩を耕作しているが殆んど日雇を傭つて耕作するためその収穫も少く年々供出も平均を下廻るもので精農とは言い難くその上本件田地を回収しては更に困難を来たし収穫の減少は免れない、それに反し被告砂田喜代太は充分努力して益々多収穫の実を挙げる覚悟だから農地法第二十条の規定に照らし原告の本件田地返還請求は勿論許容すべからざるものだからである。従つて本件永小作権契約は昭和三十年八月十一日を以て満二十年の期間を終了したわけであるが被告砂田喜代太は前述の通り契約更新の請求をしており永小作権は消滅せず現在尚存続しているものと言わなければならない。依て原告の請求には応じられないと述べた。〈立証省略〉

理由

原告が昭和十年二月十三日その所有の別紙目録記載の田六筆に被告砂田喜代太先代砂田金太郎、被告須田金一先代須田金助の両名に対し期間満二十年の永小作権を設定し同日鶴岡区裁判所受附第六〇九号を以てその旨の登記をしたこと。その後右登記を抹消し更に同年八月十二日同区裁判所受附第四〇六五号を以て期間満二十年の永小作権設定登記をしたことは当事者間に争なく成立に争ない甲第五号証の一、二、同第八号証の一、二の各記載に証人今野忠吉、阿部伝治郎の各供述及び原告本人訊問(一回)の結果を綜合すれば昭和十年二月十三日附永小作権設定登記を抹消したのは原告が右登記を経了した後本件田地に抵当権を設定する必要が生じたため被告等先代両名に対しその事情を話し両名の了解の上で一時右登記を抹消して貰つたに過ぎずそれも間もなく解決したので同年八月十二日再び前記の通り永小作権の設定登記をしたのであるがその間先代両名は本件田地を原告に返還したわけでもなく耕作は継続していたのであつて従つて登記簿上は契約期間が同年八月十二日以降満二十年とはなつているが原告及び先代両名の間では勿論同年二月十三日以降満二十年の期間を以て本件永小作権は終了する約束であつたことが明かで右認定に副はない乙第一号証の記載は措信しない他に右認定を覆すに足る資料はない。然して砂田金太郎は昭和二十二年四月四日隠居して被告砂田喜代太がその家督を相続し須田金助は昭和二十四年三月十六日死亡し被告須田金一においてその遺産を相続し夫々先代の権利義務一切を承継したことは当事者間に争なく前顕甲第八号証の一、二の記載によれば原告は右永小作期間満了の直前である昭和三十年二月五日被告両名に対し夫々内容証明郵便を以て契約を更新しない旨の通知を発していることが明かであるから本件永小作権契約は昭和三十年二月十二日の経過と共に期間満了したものと言はなければならない。然して被告砂田喜代太が別紙目録二乃至六記載の田五筆を現在も尚耕作していることは同被告の自認するところであるから被告両名に対し同目録記載の田六筆に付なされた前記昭和十年八月十二日附永小作権設定登記の抹消登記手続の履行を求め且つ被告砂田喜代太に対し前記五筆の田地の引渡を求める原告の本訴請求は理由がある蓋し賃貸借の規定が永小作権に準用される場合は永小作人の義務についてのみであり永小作権契約の更新は当事者の合意に基いてのみ成立するからである。

被告等は民法に対し特別法の関係にある農地法第三条によれば永小作権の設定移転には都道府県知事の許可を要することとなつているのであるが原告はその許可を得ていないから返還請求の権利はないと抗争するが本件は永小作期間の満了による権利の消滅を主張しているのであつて永小作権の設定移転を云々しているのではないから右抗弁は採用出来ない。次に被告等は永小作権についても農地法第十九条第二十条の準用があるから原告の更新拒絶は許容さるべきではなく従つて永小作権は期間満了後も尚被告砂田喜代太が耕作している以上存続していると主張するが永小作権は物権であるに反し賃借権は債権でありその間に効力において著しい相違のあること。農地法第三条には永小作権の設定移転と共に賃借権の設定移転についても市町村農業委員会の許可を要する旨規定しており乍ら農地の利用関係の調整としての同法第十九条第二十条は永小作権に触れることなく賃借権についてのみ規定しておること、若し永小作権についても同条の規定が準用されると解すれば永小作権を設定した農地の所有権はその実体を永小作権に奪はれ殆んど虚名の権利となる恐れがあることなどより推して当裁判所は農地法第十九条第二十条の規定は永小作権には準用がないものと解する。従つてこの点に関する被告等の右主張も亦採用出来ない。

依て原告の請求は之を相当として認容し訴訟費用の負担に付民事訴訟法第八十九条第九十三条を仮執行の宣言に付同法第百九十六条を夫々適用し主文の通り判決する。

(裁判官 三浦克己)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例